​木村卯兵衛とは

徳川八代将軍 吉宗の時代(元文3年・1738年)西陣の地に帯屋として創業した木村卯兵衛。木村卯兵衛とは、創業者の名前であり、歴代の後継者がこの名を襲名し、現当主で10代目となります。

ブランド名に使用している「篠屋」とは、木村卯兵衛の屋号です。

西陣織といえば、豪華絢爛な帯だけを織っていると思われがちですが、もともと綸子や縮緬などの白生地も西陣で織られていました。

長い歴史に培われた西陣のものづくりの力。

その歴史の上に、篠屋のものづくりは続いていきます。

​京都の絹織物のはじまり

西陣織の源流は、遠く古墳時代にまでさかのぼります。

5~6世紀頃、大陸からの渡来人である秦氏一族が、養蚕と絹織物の

技術を日本に持ち込み、その拠点を今の京都の太秦あたりに置いたこ

とが始まりでした。平安時代になると、朝廷では絹織物技術を受け継

ぐ工人(たくみ)たちを織部司(おりべつかさ)という役所のもとに組織して、綾・錦などの高級

織物を生産させる、いわば国営の織物業が営まれていました。秦一族

の築いた絹織の伝統の上に、西陣の宮廷機織工業が花開いたのです。

​秦氏が伝えた養蚕・機織の技術

​西陣の由来

室町時代の中頃、京都の街を舞台に東軍と西軍が争う応仁の乱が起こります。

戦乱は11年間も続いたため、多くの職工たちは疎開を余儀なくされ、京都の織物業は壊滅状態となりました。

しかし、戦乱が治まると彼らは再び京都に戻り、戦乱時に西軍の本陣が置かれていたあたりで織物業を再開しました。西陣織という名前は、西軍の本陣跡、つまり「西陣」という地名が

その由来です。西陣織とその産地・西陣は朝廷からも認められ豊臣秀吉などによる保護を受ける一方、その後も自ら中国の技術を取り入れるなどしてすぐれた織物を生み出し、いっそう発展を続けました。そしてわが国の絹織物業の代表的存在であると同時に、京都を代表する産業ともなったのです。

​応仁の乱・西軍の陣地跡

​木村卯兵衛の歴史

元文三年    (1738年)初代・木村卯兵衛創業

宝暦七年    (1757年)「損益勘定書」記帳始まる

安永二年    (1773年)二代目就任・襲名

寛政四年    (1793年)三代目就任・襲名

文化十二年(1815年)四代目就任・襲名

天保八年    (1793年)五代目就任・襲名

弘化三年    (1846年)六代目就任・襲名

元治元年   (1864年)「奉公人召抱控」作成される

明治二年    (1869年)「永代相続人認定」作成される

明治十年    (1877年)第一回国内勧業博覧会開催

明治十一年(1878年)「木村卯兵衛家由緒書」作成

明治二九年(1896年)七代目就任・襲名

昭和十年    (1935年)八代目就任・襲名

昭和五八年(1983年)九代目就任・襲名

昭和六三年(1988年)木村卯兵衛創業250周年

平成二四年(2012年)十代目就任

平成三〇年(2018年)木村卯兵衛創業280周年

​江戸から明治・大正・昭和・平成そして令和へ

​西陣界隈のこと

木村卯兵衛のある大宮今出川の辺りは、江戸時代中期より「千両ヶ辻」と呼ばれておりました。​千両ヶ辻界隈に位置する樋之口町・芝大宮町・観世町・五辻町・桜井町・元北小路町・薬師町・北之御門町を「糸屋八町」と呼ばれ(木村卯兵衛は北之御門町です)、一日に千両に値する生糸・織物を商った西陣の中心地でした。 

                          千両ヶ辻公式サイト
 

​千両ヶ辻の歴史

木村卯兵衛株式会社

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